多色摺り木版画の基本


このページでは、色彩感に溢れた美しい多色摺り版画の基本技法についてご紹介して行きます。
多色摺りの木版画は、江戸時代の浮世絵師鈴木春信が、摺り師や彫り師の協力の基に完成したと云われています。
其の時に生み出された「鍵見当」と「引き付け見当」の二つを用いる事に拠って木版文化発祥の地中国にも無かった
極彩色の多色摺り版画制作が、可能になったのです。
江戸時代の浮世絵や錦絵と呼ばれた多色木版画の制作工程は、出版元を基盤として絵師、摺り師、彫り師の三つに
分業化されていました。
「浮世絵」は、当時としては最新の木版印刷技術を駆使することで一般庶民でも気軽に作品を入手して楽しむ事が、
出来ましたが、まだ、「芸術」や「美術」と云った概念は、持っていませんでした。
現在の人々が、人気アイドルの写真集を手に取ったり、アニメのポスターを部屋の壁に貼って楽しむ感覚に
近いでしょうか………。
今日の木版画は、多くの場合、確立した芸術表現として捉えられ、作家は絵と彫り、そして摺刷の全てに自らが直接携わり
創造的視点を持って制作しています。

この項目では、水性顔料と湿らせた和紙を使って摺刷する伝統的な多色木版画の基本を筆者なりの考え方も交えて述べて
行きたいと考えています。
多色摺りの技法には、大きく分けて「主版法」と「分解法」の二つの方法が、あります。「主版法」は、浮世絵等に見られる
墨摺りの輪郭線を基本とした色彩版画です。一方の「分解法」は、色面だけを構成して作品を完成させる技法です。
このページでは、「分解法」に拠る制作過程をご紹介して行きます。


下絵と転写

多色摺り木版画の特色は、明るい色調の上に暗い色調を何度か重ねる事で物質の質感や陰影表現、そして、豊かな色感を
表す点にあります。
但し、基本となる作業工程は、墨摺り版の場合とそれほど大きな違いは、ありません。
下絵制作でも墨摺り版と同様に後の作業である「彫り」と「摺り」が、問題なく円滑に行えるか、常に考慮した上で作画する
必要があります。
どれ程絵画として優れた下絵を描いても「彫り」と「摺り」が、滞りなく出来ない様では、何の価値も有りません。
特に初学の方は、この点に十分留意して木版画の為の「下絵」を作画して下さい。
また、多色版下絵では、複数の版や多くの色数を使用する為に表現の様式性や抽象性、あるいは簡略化が、墨摺り版
以上に求められる事を確り認識して下さい。
それでは、色感豊かな多色木版画の制作に進みましょう。


1.墨摺り版画の下絵と同様にケント紙等に鉛筆で作画して行きます。下絵の描き方は、「墨摺り版画の基本」を参考にして下さい。
絵を描きながら全体の色調や固有色イメージします。又、摺りの箇所に拠っては、ツブシ摺りだけでは無くぼかし摺り等の特殊な
摺刷方法も考えて行きます。多少木版画ならではの楽しいひと時です。
但し、注意も必要です。物体の固有色や其の陰影、影等を表現する時に際限なく色を重ねると鈍く重い発色になってしまいます。
単色と混色した色では、条件も違うので一概には云えませんが、筆者の経験では、二度以上の重ね摺りは、色感が、
貧しくなるので避ける様にしています。
下絵制作の際は、以上の事柄に留意しながら、全体的な色彩計画を立てて描き始めます。

2.下絵が、完成しました。墨摺り版の場合は、すぐに転写作業に入って版下を作成する処ですが、多色版の場合は、ここで、
もう一つ仕事が、加わります。摺刷の際に参考にする、下絵の色見本を作るのです。
色見本は、下絵から転写した画用紙に水性の絵具(ここではアクリル絵の具)を使って全体の色調や固有の色合いを納得行くまで
描き進めて行きます。アクリル顔料ならすぐに乾き耐水性になるので何度でも納得のいくまで描き直せます。
勿論、他の水彩絵の具を使用しても構いません………。但し、絵画作品を描く訳では有りませんから、あくまでも版画の為の
色彩計画なので目安程度の描写に留めて置きます。
尚、ここで御紹介する技法は、筆者が用いている方法であって唯一無二の手段では、ありません。
作家に拠って多種多様な方法が、用いられています。また、色見本を作らないでスケッチした時の記憶だけで色彩計画を
立てる風景版画家もいます。
初学の方も基本を理解した上で、自分なりに仕事が進め易い方法を開拓いて行って下さい。

3.色見本を描き終えたら、次は、使用版数を設定した上で色分け作業に入ります。慣れて来ると下絵を描いている段階で
何版位必要か判る様になります。今回の制作で筆者は、12版前後の作品と判断しました。
色分け作業には、出来る事ならパステル鉛筆のセットを用意して下さい。無くても「白」か「黒」の二本位有れば結構です。
まず、色見本の上にパステル鉛筆で1版で摺刷する箇所を@と記入します。最初の一版には、下絵の中から比較的大きな
パートや明るい色調の箇所を選ぶと良いでしょう。
そして、ここは2版目,そこは3版目と、下絵を見ながら選択した箇所を色見本に番号を記入して行きます。
多少摺りでは、色彩を重ねる事で造形表現を行います。大きなパートから次第に小さな箇所へ、そして、高い彩度と
明るい色調から、渋く暗い色調へと、色彩と摺刷を重ねて完成させる事が、基本です。

参考写真の場合は、1版に背景全体をツブシ摺りにしたいので@と書き入れました。間違って書いたり、後で気が変わっても
パステルなので練り消しゴムや指で擦ればすぐに消えてしまい何度でも書き直しが出来ます。なお、数字を記入する際は、
その場所の明度と反対の明度を持つ鉛筆を使うようにします。明るいところには、暗い色調の鉛筆、反対に明度の低い
箇所には、明るめのパステル鉛筆を用います。
この様にして、色見本の画面上にパステル鉛筆で試行錯誤を重ねながらチェックを続けて行きます。
その際は、小さな箇所にも漏れが無いか気を付けて下さい。

それでは、この項目の最後に留意して置くべき点を二つ挙げて置きます。
一つは、一枚の版木に色分けできる箇所が、どれ位取れるか、と云う問題です。
一般的に考えれば、一版に対して色彩は、一色となりますが、それでは、版木の数が、増えるばかりで経済的にも負担が、
掛ります。
そこで、版木の数を抑えながら、多くの色を使う方法として、一枚の版木に3,4色分をレイアウトします。
その際は、出来るだけ其々の箇所の間をなるべく広く取る様にします。(例えば、上辺に一箇所、中央、下辺にも其々一箇所)
これは、版木を効率的に使用する他に、刷毛で色を摺り込む時に隣接する箇所と色の混ざりあうのを防ぐ為でもあります。

パステル鉛筆で色分けチェックをする時は、以上の事柄を十分考慮の上仕事を進めて下さい。
版木を無制限に使用する事は、絵画の単なる複製に陥り易く、又、経済的な問題も生じて来ます。
個性的で創造性の有る版画を作ろうと考えるなら、なるべく版木の数を抑制するように努めましょう。

二つ目は、重ね摺りを行う箇所の表記方法について説明します。
多色版では、ある色調を一度だけ摺って完了となる場合は、殆んど有りません。
様々な色彩を掛け合わせて豊かな色合いや深みを出して行きます。
その場合、色見本か版下に重ね摺りを指示する為の何らかの表記方法が、求められます。
その方法は、作家に拠り様々ですが、ここでは、筆者が、用いている方法を紹介して置きます。

まず、下絵からの転写を済ませた版下紙に「色見本」を参考にしながら番号をすべて漢字で表記します。
版下紙は、後で版木に転写する際、裏返しにします。其の時に、番号を漢字で書いておくと判読し易いのです。
例えば、一、二、三、四、六等は、裏側から見ても変わらないので仕事が、進め易いと思います。
そして一度目にする箇所は、其の版の番号を丸で囲みます。
参考画像の「ビー玉の夜版下」では、男のコート全体を最初に明るめの色調で摺りたいので漢字の「二」を丸で囲っています。
これは、2版の板木でコート全体を先ず、一度目に摺ると云う意味です。
次にコートの陰影部には、漢字で「七」と、表記され文字の右肩に小さな丸印が、付けられています。7版でのコート陰影部の
重ね摺りを表しています。
更にコートの最暗部として一番暗い部分を重ね摺り
<二度目の重ね摺りに成ります。> にしたい時は、使用する版の番号右肩に×印を
付けて置きます。ここでは、男のコート最暗部は、10版で摺るので漢字の「十」の右肩に×印しを付けています。
少し話が、ややこしいのですが、お解りいただけたでしょうか。
重ね摺りは、立体感を出したり、絵画作品にも負けない深い色合いを追求する為にも、とても重要な技法です。
但し、無制限に色を重ね過ぎると重く沈んだものになり易く注意が、必要です。筆者も二度以上の重ね摺りを行う事は、
殆んど有りません………。

4.版下紙に彫り、摺刷を行う為の番号記入終了したら用意した版木に次々と、転写して行きます。
転写の方法は、基本的に墨摺り版と同じです。
ここでは、版木の使用版数は、12版なのでその分の版木に必要な箇所を丁寧にトレースして行きます。その際の、留意点を
幾つか上げて置きます。
先ず、二つの「見当」は、版木に転写作業を行う毎に、必ず丁寧にトレースをして行きます。この「見当」が、其々の版木に確り転写
されていないと、多色木版画は、制作出来ません。
「見当」は、必ず定規を使って、線が曲がったり、はみ出したりしない様にきれいに写して行きましょう。
又、絵柄の輪郭線を写す時も線が、ずれたり、何度も同じ箇所を描く事で太くなり過ぎない様に細心の注意が、必要です。
もし、絵柄の線が、太くなりすぎると、摺刷の際にズレが、生じる可能性が、あります。
修正をしたい場合は、消しゴムか練り消しゴムで転写紙を傷めない様に優しく丁寧に消してください。
転写紙表面の太い線が、すっかり消えてもオリジナルの輪郭線は、用紙の裏側からハッキリ透けて見えるので心配ありません。




 A.「下絵」 B.「色見本」  C.「重ね摺り」  D.「下絵と版下絵」 

A.「下絵」
多色摺り用の下絵です。基本は、墨摺りと同じですが、異なる点も有ります。
重ね摺りをする箇所は、明確に描写します。二度重ねる箇所も判別し易いように単純化して描きます。
デッサンの様に陰影の調子を付けても版に彫る事は、先ず、出来ません。後の大事な作業である「彫り」と「摺り」
を念頭に置きながら表現の様式化、抽象化が、求められます。

B.「色見本」
色見本を作成するとき、念のために版の順番に彫りと摺りの内容を指示するリストも作って置きます。
それを色見本の余白に貼り付けて置きます。リスト用紙は、白系統の紙なら何でも構いません。板木への転写、及び、
彫りと摺りの作業時にも色見本とリストを参考にしながら内容を確認し洩れ等が、無いか注意します。
筆者の場合は、チェック箇所が、多い為、気を付けているのですが、毎回何箇所かは、抜け落ちてしまいます。

C.「重ね摺り」
版木の番号や摺りの指定を表記する方法は、作家に拠り多種多様です。
筆者は、自然に版木の番号を漢字表記する形になりました。重ね塗りの個所は、番号右肩に小さな○印と×印を
付ける事で区別しています。○印しは<一度目の重ね摺り>、×印しは<二度目の重ね摺り>を意味します。
×印の二度目の重ね摺りは、初回の摺りを含めると計三回の摺りを重ねる事に成ります。
(三度以上の異なる色彩の摺りは、発色が、鈍く重苦しいものに成り易いので余りお勧めできません。)
例外として、三度目の重ね摺りを行う時は、番号右肩に△印しで表記しています。
ここでは、筆者の方法をご紹介しましたが、他にもっと良い方法もあると思います。初学者の方は、既成の手段に
囚われずにもっと簡単で便利な方法を是非、開発して行って下さい。

D.「下絵と版下他」
下絵を描いて版木に転写するまでに計三枚の用紙を必要とします。
「下絵」と「色見本」そして「版下」です。色見本を作る際は、色名帖(色票帖)が、あると便利です。筆者は、実在しない
世界を主題に描く事が多いので色のイメージを掴む時には、色名帖を捲り、気に入った色のカードを抜き出し、
配色の構成等をしています。




彫りと摺刷
この項目では、多色摺り木版の彫りと摺りについて説明をして行きます。
多色摺りでも基本的な考え方や作業の工程は、墨摺り版と同じです。但し、墨摺り版には無かった仕事の進め方と
考え方が、新たに加わります。多色摺りの最大の特色は、何と云っても「色彩表現」にあります。
色面構成や混色の方法について学習し、更に重ね摺りに拠る発色の問題等に対処する必要が、生じます。
その為には、木版画の技術を学ぶだけでなく、日頃の画家としての修練も大切になって来ます。


1.版木に転写する方法は、墨摺り版の場合と同じですが、今回の多色摺りでは板木の両面を使用します。
版木は、5層タイプのシナべニアで両面使用が出来る6ミリ厚です。今回は、多色摺りの12版ですが、実際に使用する版木は、
両面を使うので計6枚となります。但し、ある版で彫りが、画面全体に亘る時は、摺刷時の「反り」等を防ぐために
1枚片面だけ使用の場合もあります。

2.彫りの作業を進めます。多色版の場合には、墨摺り版程深く「浚い」をする必要は、ありません。
筆者の場合は、版木のシナべニア二層目を少し浚ったあたりで刀の使用をやめます。約1.5ミリ程度の深さです。
これは、分解法に拠る多色摺りなので一度に摺る箇所が、比較的小さい事と版木を両面使用する為に反対側の面に
影響を与えない事を考慮した為です。もし、摺刷時に用紙に余分な絵具が、付着するような場合は、その部分を平刀で少し浚うか、
適当な形に切った紙を問題の個所に当てて汚れを防ぎます。
筆者は、多色摺りの場合、浚いの浅い方法で作業しますが、それでは不安に感じる方は、9ミリ以上の厚さのシナべニアの使用を
お勧めします。9ミリ以上の厚さなら問題無く両面に深い浚いが、可能です。

3.多色摺りの彫りでは、通常の作業の他に特殊な摺刷効果を求める為に特別な方法で彫りを行う事が有ります。
筆者は、芸術的感性は、新しく自由に、手段は、基本的伝統的であることを大切に考えています。
ですから、彫りや摺りには斬新な手法や独創性は、殆んど用いませんが、比較的好んで多用する二三の技法を御紹介します。

「板ぼかし」の技法は、良く知られた技法です。平刀で版木の表面を薄く、鉋(かんな)をかける様にして彫ります。
但し、作家に拠ってその方法は、多種多様です。筆者は、板ぼかしに水の流れる様なラインを意識して通常の型通りの使用法
の他に刃の片側(主に左側)に少し圧力を掛けて薄く削ります。すると、通常の板ぼかしよりも細い線状のラインが、表われます。
この彫り方と通常の板ぼかしを併せる事で幅に強弱の有る、流れる様な「ぼかし」のラインが、生まれます。

次は、使わなくなった三角刀や丸刀を持ちいて背景の一部や樹木の茂み等を表現する技法です。
筆者は、この技法を「引っかき」と、呼んでいます。古い三角等や丸刀を逆手に持って表刃を上に向けた状態で版木を
ガリガリと引っかく様にして彫ります。その時、片方の手を添えて刃の動きをコントロールするのがポイントです。

最後は、1〜1.5ミリサイズの丸刀か三角刀を使った技法です。背景の一部として微細な色調や明度の変化を出したい時に
使います。特別な方法ではありませんが、丸刀か平刀で2.3ミリ位の長さを一息で彫り、該当箇所全体を同じ調子でぎっしり埋め
尽くします。
この時大切なのは、彫りの方向を絶えず変える事で全体として一定の方向や流れを作らない様に留意します。
例えとして、顕微鏡のレンズの中で細菌が、犇めき合っている様なイメージです。
この様にして彫り上げたら、既に摺刷してある箇所に重ねて摺ります。すると、丸刀で彫った処だけに下地の色相が残るので
印象派絵画の点描技法に拠る「視覚混合」に近い効果に成ります。ここでは、「点描彫り」と、名づける事にします。



 
 
E.「6枚の版木」  F.「板ぼかし版木」  G.「板ぼかし摺刷」       

E.「6枚の版木」
転写した版木は、全部で6枚ですが、裏表を使用して12版としました。
絵柄(凸版部)と浚いの場所を区別する為に青鉛筆等で印を付けて置くと良いでしょう。其々の版木では、同色を除いて
色が、混ざり合わない様に一定の間隔を開ける様にしましょう。

F.「板ぼかし版木」
未使用の板ぼかしの版木です。当初は、この作品で垂直方向と斜め横の板ぼかしを2版作り、重ねて摺刷するつもりでした。
結果的に垂直の板ぼかしだけで十分効果的と判断し、斜め方向に彫ったこの版木は、使いませんでした。
どちらの板ぼかしでも流動性や、リズム感、細い線と幅広の面のコントラストを意識してデッサンを描くような気持ちで
彫りました。板ぼかしの版には、事前に緑や青の寒色系の透明水彩で着色して置きます。彫りの時にぼかし彫りの形が、
ハッキリと表われて仕事が、進め易いのです。そして、絵具が乾いた時点で直ぐに絵柄の輪郭線を切り回し、直後に
板ぼかしに掛ります。
この作業で大切な事は、板ぼかしでの平刀の自由な動きが損なわれない様、一気呵成に彫り進める事です。


G.「板ぼかし摺作」
この作品では、背景に垂直方向に彫った板ぼかし技法を用いました。平刀を自由に伸び伸びと使う事で、上下に流れる様な
流動感が、表現できたと思います。
筆者は、板ぼかしで摺刷する際は、必ず同じ箇所を事前に同系統のやや明るめの色調で「つぶし摺り」をして置きます。
下地を「つぶし」て置くと、其処に掛ける板ぼかしの微妙な表情迄も鮮やかに摺りに表われます。
摺る時は、バレンを軽く小刻みに揺らす様にして、摺ります。決して強く摺刷しては、いけません。
そして、二度、三度と柔らかな摺りの繰り返しで少しずつ鮮やかなぼかし効果を出して行きます。
バレンに力を入れて一度で摺りを完成させようとしても決してうまく行きません。
ぼかし摺りは、バレンをリズミカルに軽く動かし三度前後の摺りを行う事が、大切です。
筆者の場合は、親指と人差し指、中指の三本の指だけでバレンを軽くつまむようにして使います。
最初は、全体を大きくゆっくりと、そして、徐々に小刻みに動かし、時間を掛けて四度摺りを行って完成としています。



 
 
H.「引っかき技法」  I.「引っかき技法摺刷」 
 
J.「点描彫板木」
 K.「点描彫摺刷」
 


H.「引っかき技法」
引っかきの技法は、古い三角刀か丸刀を使います。画像Hでは、三角刀を用いて彫ったものです。
刀は、種類の別なく逆手に持って「表刃」を上に向かせた状態で使います。画像の左端の三角刀を参考にして下さい。
通常は、左から二番目の三角刀の様に「表刃」を下にして鋭い線を刻みます。
「引っかき」は、刀の刃こぼれなど気にせず、力を入れてダイナミックに版木を削って行きますが、表刃の向きはそのままに
して、鉛筆を持つ形にすると細かな引っかき技法も可能です。
一通り、「引っかき」作業が、終了したら大きめの平刀を用いて、ささくれた表面を削り取って行きます。一方向だけでなく、
天地左右の四方向から刀を丁寧に使って版木を滑らかにして行く事が、大切です。
表示の画像では、引っかき技法の後、ささくれた版木を平刀で滑らかな状態にして有ります。

I.「引っかき技法摺刷」
引っかき技法の参考作品です。樹木や地面の暗色部の表現に使いました。
下地に彩度と明度を落としたオリーブグリーンをつぶし摺りしてあるので、その上に掛けた暗緑色の引っかき技法が、
微細な処まで表われています。
バレンの使い方は、「板ぼかし」と同じです。丁寧に、そして軽くバレンを使います。一度だけでは無く、必ず数度の
摺りを行って完成させます。


J.「点描板木」
三角刀で彫った「点描彫り」の版木です。
通常の使い形とは違い「点」を打つ様な気持ちで彫ります。単調な作業なので少々根気を必要とします。
筆者は、ここで板ぼかしの様な「流れ」を作りたくないので絶えず版木の角度を変えて「点」に一定の方向や流れが、
出てこない様にしています。
但し、「流れ」の有る彫り方や刀の大きさを変えて「点」にコントラストを付ける方法も造形として可能性の有る
表現方法と、思います。


K.点描摺刷
背景に「点描彫り」を使った参考作品です。
ここでは、点描の為の版を二版使いました。背景下地の青の上に不透明で明るい紫を摺刷した上で、
透明で暗い色調の紫の二色を掛け合わせました。印象派作品の様な豊かな色感を表したいと思いました。



◎版木の彫りが、終了したらいよいよ摺刷作業に入ります。
基本的には、墨摺り摺刷と同じ方法で準備します。作業台には、墨の他に新たな各種の水彩絵の具や顔料も
加えます。
今回の作品では、不透明水彩(ガッシュ)のみを使用していますが、作家に拠って使用する顔料の種類は、様々です。
その中でも、水干顔料が、発色の点で最も優れていると考えますが、一色作るにも膠などで練り合わせる為、手間と時間が、
掛ります。筆者の場合は、色数が多い事と「ハイライト摺り」を多用する為にガッシュを中心にして使用しています。
「ハイライト摺り」とは、筆者が、仮に名付けた摺刷方法で暗い色調から明るい色調を掛けて行く技法です。
油彩画や不透明水彩画の基本的な技法と同じものです。
このハイライト摺りを行うには、被覆力の強い不透明水彩のガッシュが、最適です。
一般的に水性顔料を使用した木版画では、明るい色調の上に次々と色を乗せて行って、求める色相や彩度、明度を
表現して行く事が、基本となります。薄い色から描き始め、次第に濃い色調へと、描き進める透明水彩の技法と基本的に
同じものです。
筆者の場合は、透明色を重ねて行く伝統的な技法と、不透明水彩を使ったハイライト摺りを混合した方法で制作しています。


1.摺刷の為の準備をします。
  多色版画では、刷毛やブラシは、必要な色数だけ揃える必要が、あります。墨摺り版画では、刷毛、ブラシは一つ有れば
事足りるのですが、仮に多色版で18色使う場合は、刷毛乃至ブラシを18本(個)用意する必要が、あります。
水彩画なら筆を洗って色を次々に変えて行く事も可能ですが、木版用ブラシや刷毛を簡単に水洗いした位で色を変える事は、
絶対禁物です。一度青色に使った物を茶色や赤色に使う事は、出来ません。ですから、青色又は、青系と一度決めたら
他の色には、絶対用いないで下さい。
初学の方は、こうした煩わしさに制作意欲が、萎えて来るかもしれません。ただし、ブラシや刷毛は、一度に沢山揃える必要
は、ありません。少しづつ揃えて行けばいつの間にか数は、増えて行きます。
また、画材店で販売されている廉価な硬い豚毛の油彩用の筆も刷毛の代用品として使えます。筆者も比較的小さな箇所では、
この筆を愛用しています。
溶いた絵具を版木に写す時は、刷毛やブラシを其のまま使うのでは無く、別に水彩用の筆か、(ハコビ)と呼ばれる小道具を
使います。ハコビとは、竹の皮の根元部分から上に向かって7.8センチ位のところで切りとり、それを割り箸にタコ糸を使って
一部だけ巻き付け、残りの部分を部分を細かく裂いて箒の様な形にしたものです。筆者は、竹皮を裂く時は千枚通しやキリ、
細いドライバー等を使いますが、これが無くても水彩用の筆で代用する事も出来ます。

2.次に黄ボール紙を使って墨摺り版画の時と同様に和紙を湿らす作業に入ります。
但し、墨版の場合よりもボール紙の湿らせ具合には、さらに注意が必要です。丁度良い位の湿り気を一定に保つ様にして下さい。
一度湿らせただけで何時までも作業を続けているとボール紙が、乾燥してしまい結果的に和紙が縮んで「版ズレ」を起こしてしまいます。
雨の日や湿気の多い日は、湿らす作業は、一度でも事足りますが、快晴の空気が乾燥した日などは、二度以上この作業を
行う事も有ります。
程良い湿り具合を保つには、やはり、何度も失敗を繰り返す経験と、その過程の中で培われる作家としての微細な感覚が、
必要です。特に初学の方は、失敗する事が、一つ大きな勉強が出来たと思う位の気持ちで進んで行って下さい。

3.1版から最終版迄を色見本とリストの内容を確認しながら順繰りに摺刷して完成させます。絵の具(顔料)は、その都度、
絵具皿や小皿で調合します。伝統的な手法では、単色を摺った上に違う色を掛ける事で混色の効果を出して行きます。
筆者の場合は、上述の方法の他に事前に絵皿の上で混色をしたものも使います。混色する場合は、3色迄と、決ています。
それは、2色乃至3色を混ぜ合わせる事で自然界の色は、全て再現できると考えているからです。
また、混色した色の上に単色を掛ける事もあります。
版画の色彩表現は、やはり、絵画の為の色彩学が、深く関わって来ます。美しい色彩の版画表現の為にも絵画全般の勉強や
修練が、大切です。出来るだけ時間を作って絵画の制作も行うことをお勧めします。





 L.「最初の版」 M.「ハイライト摺り」  N.「9版まで」  O.「細部の摺刷」  P.「最終12版」 

L.「最初の版」
最初の版は、背景全体を「つぶし摺り」にしました。「つぶし」は、摺りの技法の中で最も大切で基本的な技術です。
摺刷に拠って、紙の地の白い部分が、全て覆い隠されるまで顔料を乗せて行きます。
特に、純楮の硬い和紙を使った場合などは、一回の摺りで完璧なつぶし摺りが出来る事は、先ずありません。
筆者は、楮和紙を使って大きな画面をつぶしで摺る場合は、通常三回前後の摺刷を繰り返します。
ここでは、基本的な摺りとは逆に暗い色調でつぶし摺りを行います。後から明るい色調の「ハイライト摺り」を
する予定です。

摺りを行う時は、常に傍らに色見本と摺刷方法を指示した手書きのリストを置き、色調や摺りの方法を確認して行く事が、
大切です。


M.「ハイライト摺り」
背景の暗い色調の上に明るい色調を乗せて行きます。
ハイライト摺りと呼んでいる技法で摺ります。この時のバレンは、指先だけでごく軽く微細な感じで動かして行きます。
この摺りを2回前後繰り返します。決して、つぶし摺りの様に力を入れて摺っては、いけません。既につぶし摺りをして有るので
用紙のその部分は、幾分弱っている状態です。更に強い力で摺った場合、紙を捲る際に絵具が、版木にくっ付いて剥離する
恐れが、あるのです。
又、ハイライト摺りの場合は、事前に混色して色を作って置きます。その時必ず白色を少し加え明度、彩度共に最初のつぶし摺り
よりも少し明るめにするのがポイントです。混色する際は、無彩色の白を加えて3色位が、目安となります。それ以上の色を
加えると発色が、悪くなる恐れが、あります。
尚、ハイライト用の顔料は、つぶし摺りの時と比べて二倍位の量の水で薄めに溶いておくと使い易いでしょう。
また、摺刷する用紙の品質に拠って摺り上がりの効果に違いが、ある事も学習して下さい。


N.「9版まで」
ここまで、背景全体と樹木の明るい色調を「ハイライト摺り」にして有ります。また、背景の一部の幾何学模様には、「板ぼかし」の
版を加え明度をさらに低くしてあります。
つぶし摺りの上に違う色調を重ねる場合は、ハイライト摺りや板ぼかしに限らず、バレンの圧力を弱くして軽くソフトに摺刷することが、
きれいに仕上げる秘訣です。


O.「細部の摺刷」
ビー玉の細部や猫の瞳等の細部をバレンで軽く、丁寧に小刻みに動かして行きます。
細部の摺りは、重ね摺りの形を取る事が多く、其の場合は、バレンを軽く当てるだけでもきれいに摺刷出来ます。
力を入れ過ぎると、返って失敗するので注意が、必要です。
是非、摺刷の経験を積み上げて行って下さい。

P.「最終12版」

最後の墨摺り版を加えて完成です。
筆者は、多色摺りの場合は、試し摺りをしません。最初から本摺りとして制作します。
試し摺りでは、彫りや摺刷、色彩等の問題が、判り難いと考えています。
最初の摺りは、多少の問題があったとしても創造の為の根源的なエネルギーに満ちていて、とても、愛着を感じます………。




                                        
この続きは、次回の更新で………。
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